「女性活躍」はもういらない
昨日東京2025デフリンピックの開会式に出席しました。挨拶は小池百合子東京都知事、高市早苗総理大臣と続きました。おそらく2人が公式行事で隣同士に座るのは初めてなのでは、と思うのですが、その2人の女性リーダーの姿を間近にし、感じ入りました。「女性」総理が誕生し、日本の「女性活躍」論は新たなフェーズを迎えたと感じています。
森澤恭子
2025.11.16
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「"女性活躍"をなくしたい」私は、東京都議会議員時代から主張してきました。その主張も含めて記事にもしてもらったこともあります(※下記記事参照)。「女性活躍」という言葉をなくしたいーその意味は、女性はすでに家事や育児、介護、そして仕事に頑張っているのに、もっと活躍しろというのに違和感があり、むしろ、男性が育児や家事で活躍できるようにすることが必要だと考えていたからです(日本の男性は家事時間が世界で最も短いという事実は言うまでもありません)。
このようにそもそも「女性活躍」という言葉に以前から違和感を感じていたからこそ、長年待ちわびていた「女性」総理が誕生したのを機に、もう「女性活躍」という「女性」だけに着目した表現はやめて、よりひとりひとりが性別に関わらず自分らしく生きていくための取組にシフトしていくべきだと考えています。そして、それは「女性」だけで進めるべきものではないと思うのです。そう強く感じた出来事がありました。