唯一の被爆国だからこその役割を忘れてはいけない
総理が非核三原則見直しの議論検討へ、という報道を見て衝撃を受けたのは私だけではないと思います。核兵器の廃絶は、イデオロギーや政党間同士の対立のイシュー、右か左か、などという話でなく、広島そして長崎の原爆による多くの罪のない犠牲者の無念や、今もなお苦しみ続ける被爆者の切実で非常に重い訴えを背に、唯一の被爆国として必ず成し遂げなくてはいけないミッションだと強く感じています。
森澤恭子
2025.11.23
読者限定
戦後80年の今夏。私は、広島、長崎の平和式典に参加しました。大変恥ずかしながら、40歳代後半にして被爆地に向き合ったのは初めてでした。よく言われることでありますが、現地に足を運ぶことの重要性を実感し、より多くの方、ひいていえば、世界を含めたすべての政治リーダーにぜひ原爆資料館に行って欲しいと強く感じたところであります。あの非情で悲惨な状況を見て、それでもなお核を配備しよう、そう思うのだろうか、と問いかけたいと思います。
様々な証言や写真、当時のことを描いた絵などを改めて見ても、原爆は一瞬にして、罪のない赤ちゃんから大人までの命を奪い、日常を、人生を一変させる悲惨で凄惨なものです。その後の後遺症なども含め今日まで長く人々を苦しめています。
果たして、人間が、同じ人間をそのような状態に追いやる、人類を破滅させるような、核兵器の抑止力をもってこの世界秩序を保とうとすることを容認していていいのか、今一度考えていく必要があります。
今年の式典での湯崎英彦広島県知事の挨拶は注目されました。